気まぐれ日記 06年5月

06年4月はここ

5月1日(月)「ゴールデンウィークのはざ間・・・の風さん」
 昨日で1年の3分の1が終わった。はたして年初に想定した成果の3分の1が得られたであろうか。答は「否」である。たくさん抱え込んで消化不良を起こしていることは、知人の指摘からも明らかで、これ以上欲張らずに、とにかく少しずつでも片付けていこうと思っている。しかし、それがなかなかうまくいかない。昨日も朝からとにかく頑張った。眠かったが昼寝もせずに手当たり次第に仕事をこなした。・・・挙句、
 「えー!? 忘れていたのぅ?」
 夕食後、家族全員から非難が私に集中した。結婚記念日だったのである。
 テーブルの上に、長女から贈られたケーキの箱が寂しげにのっていた!
 今日は、朝からぐんぐん気温が上昇した。夏日になるらしい。午前中、サンルームで予定した仕事の半分を片付けたところで、ワイフとランチに出かけた。ミッシェルの幌を開けてオープンカー状態である。日差しが熱いが、この開放感はたまらない。毎週でも出かけられたら、あと10年は長生きできるだろう。
 波打ち際のレストランに着いた。防波堤にミッシェルを停める。海に向かった席が空いていた。大きなガラスの一枚窓がゆったりとした海をはめこんで、絵か写真のようだ。海面をすれすれに海鳥が飛び、大小さまざまの船が行き交う。空高くセントレアを離発着する飛行機が舞う。レストラン内にはBGMが流れるが、ガラス窓の向こうは音のない癒しの空間だ。
 ゴールデンウィークの真っ只中でも、カレンダー通りで働いている人は多い。観光客が少なく、道路も海もレストランも空いていた。
 昨日の穴埋めに少しはなっただろうか。
 帰宅してワイフは買い物に出かけた。
 疲れた私はソファにダウンして昼寝してしまった。
 昨日の穴埋めにはなりそうもない。

5月2日(火)「たまには順調な日もあるさ・・・の風さん」
 今朝はいつもより1時間ほど遅く起きた。
 昨日の猛暑が嘘のように肌寒い。庭を見ると地面が濡れている。雨が降ったのだ。
 気になっている新執筆マシンの立ち上げのため、旧マシンからデータを移す。なるべくソフトを駆使して楽しようと思うから、ついついヘマをやることになる。前もって入れておいたデータに上書きしてしまったため、前のデータが消えてしまった。それでも、差し引きすれば以前よりもデータは増えているので、それで満足することにした。
 午前中は執筆ができず、元気を出して外へ出た。先ず図書館へ行って本を借りた。それから銀行へ回って現金をおろし、そのお金で印刷用紙を買い、さらに値上げしたばかりのビールを買った(馬鹿だねえ)。
 帰宅して、簡単に昼食を摂ってから、ようやく今日の執筆開始。3日目なのでいちおうペースは維持できた。
 今日の分の執筆が終了したのが午後8時半である。
 たまにはこういう調子の良い日があってもいいじゃんか!

5月3日(水)「波乱に満ちた1日?・・・の風さん」
 とうとう長男にパソコンを渡す日がやってきてしまった。先月初めから少しずつ執筆マシンの新旧交代準備を続けてきたが、なかなか思うように進まなかった。これは、旧マシンの中にあるデータが多過ぎるからだった。今日も朝からせっせとデータの整理をして、最セットアップに着手したのは昼食後だった。これで一気にと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。やっと、新しいソフト2本をインストールし終わったのが午後7時だった。付録として、メモリーカードとFDやCDの新品なども用意して、夕食後贈呈式を挙行したら、感謝のことばに続いて返ってきたのが「スキャナーも欲しい」だった。とりあえず無線LANカードも取り上げてあるので、そのうちスキャナーもお下がりをやるか(甘い父親)。
 夜になって少し読書の時間がとれたので、大野優凛子さんの処女小説『翠の月』を開いた。既にワイフは読み終わり、感動したらしい。どれどれ、と読み出したら衝撃を受けた。純文学である。しかも緻密な描写で、何となく川端康成の小説を読んでいる気がした。彼女のミステリから入って、エッセイ『きっと、いつか、やれる』で彼女の生き様に感銘を受け、興味深く取り上げた『翠の月』で止めを刺された感じである。
 ワイフが久しぶりに「ワインでも飲みましょう」と付き合ってくれたので(もう1ヶ月ぐらいなかった)、ムードを出そうとミニコンポのスイッチを入れたら・・・音がしない。MDもCDもカセットも動くのに、スピーカーから音が出ない。買ってまだ1年なのに・・・壊れた(涙)。人生は、かくも思うようにいかないものか。

5月4日(木)「スケジュールの見直し・・・の風さん」
 目が覚めてぼんやりしていたら、例の問題が起きた自費出版の打開策の案が浮かんだ。鞍上(あんじょう)の次にくるのが枕上(ちんじょう)かもしれない。朝食後に、初稿ゲラを元に自分の案を整理した。だいたい思うような構成ができそうだった。善はは急げというから、早速依頼主に手紙をしたためた。
 昼食後、手紙を出すついでに、壊れたミニコンポを修理に出してきた。全く連休突入前には想定外の行動である。
 実は、2008年に算聖関孝和の没後300年がやってくる。これを記念する事業をやろうということで、事務局が東京書籍に置かれ、第一回実行委員会の案内が私のところへも届いていた。東京書籍は、ご存知のとおり主に教科書を出版している会社だ。今年から中学校の数学の教科書に和算を取り入れたらしい。
 第一回実行委員会は今月7日に東京書籍本社で開催される。私はあらかじめ事務局へ電話を入れて、「遠いけれどもなんとか出席したいと思います」と伝えてあった。知り合いの先生方がたくさんみえるらしいし、2008年はちょっと先だが、講演会や出版など多くの記念事業が催されそうで、『算聖伝』を書いている私としても一枚加わりたい。
 しかし、自費出版の仕事で誤算があったことや、長男へパソコンを渡すことで手間取ったり、突如のミニコンポ故障があったりで、スケジュールが大幅に狂ってしまった。残念だが、委員会出席はパスせざるを得ないようだ。

5月5日(金)「新執筆マシンはツーイー・・・の風さん」
 昨日の疲れが残っていたので、少し寝坊をした。それで、さあ今日はやるぞ、と力を入れたら、長男が、
 「昨日買ったペンタブがうまくインストールできない」
 と泣きを入れてきた。今日は子供の日なので、何とかしてやることにした。
 長男が買ったペンタブはBluetooth ワイヤレスで、BluetoothアダプタがUSB接続で認識されない、というのが問題点だった。
 インストール・マニュアルを読んでみると、「WindowsXp・SP2以上でないと動作保証はしません」とある。
 一昨日、再セットアップしたときに、更新したつもりだったが、更新履歴をチェックしたらSP2は更新されていなかった(他のセキュリティプログラムはわんさとインストールされていた)。
 「なーんだ、こういうことか」
 と軽率に納得して、SP2をダウンロードしインストールし再起動もかけたが、やはりアダプタが認識されなかった。
 それで、ペンタブの販売元に問い合わせメールを送ったり(休日なので電話はつながらない)、あれこれした挙句、最後に、念のためということで、高速タイプのUSB二股ソケット(と言うのかな)を挿入して、そこへつないだら、なぜかアダプタが認識された(笑)。
 実は、並行して、新執筆マシンに携帯電話アドレス編集用の新ソフトの導入を試みていたのだが、これもなかなかてこずっていて、やっとインストールが終了したら、今度は既存のケーブルを認識しない。止むを得ず、専用ケーブルを発注することにした。
 新執筆マシンにも名前が必要だな。好きなZhang Ziyiとしたいところだが(実は壁紙が既にアメリカのサイトで入手したZhang Ziyiのファインな写真)、誰も読めまい。章子怡でも同じだろう。チャンでは昔の中国人みたいでやぼったいので、ツーイーとするか(^_^;)。

5月6日(土)「突然の来客・・・の風さん」
 実に久しぶりに元気一杯で起床できた。こういう爽快な朝は、ここ1ヶ月あるいは2ヶ月なかったような気がする。1週間の休暇のおかげだ。
 急いで階下へ降りて、元気な風さんの姿を家族に見せようとしたが、家の中が「しーん」としている。そんなに遅い時間でもないのに、まるで誰もいないような感じ。わー、幽霊館だあ。
 今日こそは執筆のペースを上げないといけないので、ツーイーを階下へ降ろす。サンルームに設置。なぜか階下だと能率が上がるのだ。
 午後になって、誰もいないと思っていた2階から人が降りてくる気配。長女だー! 入浴して、食事して、どこかへ行ってしまったあ。
 しばらくして、玄関のチャイムが鳴った。モニターを見ると、近所の顔役のNさん。
 「お客さんを案内してきましたよー」
 出てみると、品の良い高年の夫婦である。ご主人は可愛い犬を抱いていた。奥様いわく。
 「鳴海先生ですよねー。『円周率を計算した男』を読んでネットに書評を書かせてもらいました。面白い題材ですねえ」
 サインを求められ、記念の写真を撮り、ついでに握手もしてしまった。ご夫婦は真っ赤なダイハツのコペンに乗っておられ、颯爽と去って行った。
 外出中のワイフから隣接する土地が売りに出たよ、というメールがあったので、早速突然の来客事件を伝えたら、
 「超有名人〜!」
 という返信メールが来た。
 隣接する土地は何とか手に入れたい。

5月7日(日)「女房を質に入れる話・・・の風さん」
 天気予報通りに朝から激しい雨が降っていて寒いくらいだ。
 いよいよ連休最終日なので、サンルームで執筆に励んだ。
 結局、第5稿の脱稿は午後10時。原稿用紙換算で666枚となった。いつものように2台のプリンターで印刷した。第5稿というと、相当の完成度かと思われそうだが、ボケた作家のやることだから、ま、やっとスタートラインに立てたといったところかもしれない。
 昨夜、大野優凛子さんの処女出版『翠の月』を読み終えた。最初の書き出しは茶道というかお手前のシーンからなのだが、なんと艶っぽいのだろうとドキドキしていたら、どんどんそういう世界に入って行った。そう。ちゃんと計算した文体が使われていたのである。全体に描写がうるさくなく緻密で、人間の論理的でない複雑な感情を書いている。主人公は女性だが、案外さっぱりした性格なのも、私の好みで、気持ちよく読めた。
 数年前に、長女の素行を直そうと無理やり尼さんの茶道教室に一緒に通った。私は茶道の奥深さが面白くのめりこみそうになったが、不満ばかりたれる長女に嫌気がさして、やめてしまった。今回『翠の月』を読んでお手前の描写をぶつかると、ああ、茶道って素晴らしいなあと思う。歌舞伎とか武道とか、日本の作法や形式美を感じる。
 話は激しく変わって、わが家に隣接する土地が売りに出た話。
 かつて東隣の絶好の土地が売りに出されても、躊躇してしまったために、その後、そこに大きな家が建ち、非常に後悔した。昔の人はよく言ったものだ。「隣接する土地は女房を質に入れてもで買え」と。その再現だけは、今回は絶対に防ぎたいと思った。そうしたら、今日、仲介している不動産屋から電話がかかってきた。
 来週、打ち合わせることになった。きっと女房を質に入れることになるだろう。おっと、そこの人。質流れを狙ってはいけない。私はしっかり買い戻すよ。

5月8日(月)「けっこう波乱万丈の1日・・・の風さん」
 昨日の雨は上がったが、実に蒸し暑い1日だった。連休明け初日であり、仕事に対する意欲はあったものの、夕方に向かうにつれて疲労を感じ出した。
 昨夜印刷まで完了した原稿は、質に入れる前のワイフに発送を頼んだ・・・って、こりゃバチが当たるな、きっと。
 朝一番の会議が終わった後、ケータイで自費出版の内容の相談をしたが、決着を見なかった。私の折衷案では、依頼主は満足できず、まだ手こずりそうだ。
 昼前の会議の最中に五大路子さんからケータイへ電話が入った。ウィンドウの中の「五大路子」という文字を見た瞬間、会議室を飛び出て応対したところを見ると、どうやら私は五大さんのファン予備軍らしい。あとで分かったことだが、私のケータイへかけてくる前に自宅に電話がかかり、ワイフが応対した。ワイフもすっかり五大さんのファンになってしまったようだ。ワイフの場合はミーハーの気もある(笑)。ま、いずれにしても、私のおかげで五大さんと電話で話せたことが非常にうれしかったらしく、ゆうパックを頼んだバチはこれで当たらなくなりそうだ。
 昼休みにいくらか元気があったので、瀬名秀明氏の『ハル』の続きを読んだ。文章はなかなか勉強になる。
 いつも通りに早めに退社し、GSでミッシェルに給油した。7円も値上がりしていた。かつてオイルショックというのがあったが、今の事態をなぜオイルショックと呼ばないのか不思議だ。一過性だと思っているのだろうか。政府や民間企業は夏ごろにデフレから脱却するだろうと見通しているが、インフレになるのではないか。
 帰宅したら、バラの花束というかアレンジメントが届いていた。
 「うわー! きれいな花束だね。母の日のプレゼントかい?」
 と聞いたら、家族が、
 「日本数学会出版賞受賞のお祝いだよ」
 だって!
 尊敬するプロ中のプロ、鈴木輝一郎さんからだった。感謝。

5月9日(火)「五大路子さんからビデオが届く・・・の風さん」
 今日も終日雨が降ったりやんだりの変な天気だった。こういう日は、じめじめうっとうしいだけでなく、気分もイマイチ低調になる。そんな今日は珍しく会議の少ない日だった。めったにないことなので、身辺整理をやった。しかし、身辺整理は気分が落ち込む。
 帰宅したら、五大路子さんから宅配が届いていた。一昨年、横浜を訪れたときに「にぎわい座」でやっていた公演「長谷川伸の心(なか)の女たち」のビデオや、長谷川伸にちなんだ冊子やチラシ、写真などがどっさり入っていた。
 「長谷川伸の心(なか)の女たち」は、たまたま切符が売り切れで、長谷川伸の展示物だけ見学して帰ったという経緯があり、そのときのビデオが観られるというのは、非常にうれしい。
 ビデオはあとで鑑賞することにして、もう1つうれしい買い物が届いていた。携帯電話のメモリ編集ソフト専用ケーブルである。この編集ソフトは、新執筆マシン「ツーイー」にバンドルされていたものだが、驚くべきことに、私のケータイの機種に対応していた。なぜ驚くべきことかと言うと、私のケータイは韓国製で、有名な編集ソフトでは、まだ対応していなかったからだ。
 早速ケーブルを接続してドライバーをインストールし、ケータイとソフトをつないだ。見事につながったのである。
 これも明日以降が楽しみである。

5月11日(木)「たまの息抜き・・・の風さん」
 会社からの帰り道、たまに近所のコンビニに寄って、ワインを買って帰ることがある。駆け足で日々を過ごしているが、息抜きのための仕掛けはこういうときに用意しておくのだ。事務用品とは目的が違うから、買いだめをすることはない。1本400円ほどのワインの小瓶である。
 今は執筆の合間の貴重な時間なので、読書にも精を出している。しかし、遅筆作家が速読できるはずもなく、ゆっくりゆっくりである。ベッドサイドに置いてあった本で、ようやく読み終わったものがある。人間国宝の志村ふくみさんのエッセイ集で『語りかける花』というものだ。これは会社の元上司から処女出版祝いのときにいただいたものだから、読み終えるのに8年を要したことになる。
 この作品は後にエッセイとして受賞もしており優れた作品であるが、詩的過ぎて小説の文章とは距離がかなりあるため、私は読むのがつらかったのである。
 連休が明けて(趣味の)サラリーマン・モードに戻り、同時にしばしの執筆の合間を過ごしている。これもたまの息抜きなのかもしれない。

5月12日(金)「夜間ドライブ?・・・の風さん」
 退社後、26年間も通っている理容店へ行った。まるで一徹な親父みたいだが、自分の頭を知らないやつに触らせたくない……って、やっぱりがんこジジイの発想か(笑)。
 長い年数通っていれば、その店にも色々なドラマが起きている。昔というか江戸時代とか昭和初期までは、銭湯が民間の社交場だった。近所の人たちが毎日のようにそこで出会い、裸の付き合いをしていたわけだ。それと床屋はだいぶ違うだろうが、時代とともに一般庶民の歴史の舞台というのは変わってきている。何気なく通っている理容店にしても、次に時代小説を書くときの参考というか、注意点にしなければ、と思う。しかし、私が頭を刈ってもらっている間は、たいていうたた寝しているので、やはり小説家としての実力不足の原因は、そういうところに見て取れる。26年間を取り返すことは容易ではない。
 久しぶりに雨が上がっているし、それほど寒くなかろうと、理容店を出た私は、ミッシェルの幌を開けて、ミッシェル本来の姿、ツーシーター・オープンカー状態にした。エンジンをかけ、いちおうヒーターを入れて足元を暖める用意をする。普段はサングラスをすることが多いが、夜間なのでやめる(ターミネーターのシュワちゃんなら、絶対に真っ黒なサングラスだが)。ヘアカットした直後でもあり、キャップを深くかぶる。CDは、夜間ドライブにはムード十分なシャーデーだ。
 片道35kmを突っ走って帰宅した。少し寒かった〜(^_^;)。
 
5月13日(土)「ビデオ鑑賞・・・の風さん」
 五大路子さんからいただいたビデオを観た。
 先ず、『長谷川伸の心(なか)の女たち』である。
 今から2年近い前、取材で横浜を訪れた時、偶然「にぎわい座」で公演しているお芝居に遭遇して驚いた。そのときは「満員御礼」の盛況ぶりでチケットは売り切れだった。たまたまホールで長谷川伸の展示がされていて、私はじっくり見学した。展示はすべて古い時代の記録ばかりだった。ところが、長谷川伸の遺言で、長谷川伸の財産を元にして財団法人新鷹会が結成され、文学の振興と後進の育成が現代にいたるまではかられていることは、そこの展示にはなく、不思議な気がした。
 そのとき見逃した芝居をビデオで鑑賞することができたのである。
 お芝居は五大路子さんの一人芝居に近いものだった。映像と録音を加えた舞台作りは、私には初めて観るもので、とても興味深かったが、それ以上に驚きを禁じえなかった。
 新鷹会の若手の中でも、私は長谷川伸については、いくらか勉強している気がしていた。ところが、この芝居の中では、五大路子さんの解釈による女性の視点での長谷川伸像はもとより、もっとリアルな長谷川伸が登場してきたのである。それは、生前の長谷川伸の声だった。もちろん録音で、おそらくラジオ出演したときの記録ではないかと思われるが、自らの作品について語っておられた。声はやや高音で、とてもやさしい喋り方をされる方だと思った。新鷹会の諸先輩からこわい先生というイメージを受けていたので、意外な気がした。
 文学に関してはとても厳しかったのだろうが、心根はとても優しい方で、特に女性を中心として弱者に対して力を貸そうという侠気のある方だったようだ。
 新鷹会の先輩がたが次々に彼岸へ旅立つ昨今、長谷川伸を知るすべはますますその作品からしかありえないと思い込んでいたが、こういったお芝居を鑑賞すると、きわめてリアルに長谷川伸がよみがえってくるわけで、とても感動した。
 なんとかこのビデオを、新鷹会の他の会員にも見せたいと思う。
 続いて、『ある市井の徒』である。
 これは、『長谷川伸の心の女たち』より数年前の公演だった。やはり五大路子さんの一人芝居で、長谷川伸の随筆『ある市井の徒』をモチーフにした作品だった。これを観て、ここで演じられた映像が、後の『長谷川伸の心の女たち』で使われていたことが判明した。「瞼の母」などは、ここで忠太郎を演じたときの五大路子さんが、『長谷川伸の心の女たち』の中では映像で登場し、実際の五大路子さんは瞼の母を演じて映像と台詞を交わしていたのである。
 「一本刀土俵入」で、亡くなった島田正吾の声と台詞を交わしていたのは、『長谷川伸の心の女たち』と同じだった。
 圧巻というかものすごい迫力があったのは、完全な一人二役をしたお芝居である。不勉強でこの作品の題名を知らない。あとで何とか調べてみようと思う。とにかく男女のやりとりが迫真の演技で目が離せなかった。これは新鷹会の会員だけでなく、多くの人たちに見てもらいたいと思った。

5月14日(日)「怒涛の一日・・・の風さん」
 久しぶりに作家としての用事だけで上京した。
 新幹線を品川で降りてタクシーに乗って、旧長谷川伸邸へ行った。最近、長谷川伸について勉強しながら色々と疑問が生じていたので、お屋敷を管理しているご夫婦に、昔話を聞きに行ったのである。
 いくつかの疑問が解決したので、お礼を言って、再びタクシーで品川駅へ向かった。短い乗車中にタクシーの運ちゃんと、天気の話から地球温暖化の話になり、海面上昇から領土問題へ飛躍した。
 とにかく時間がないので、東京駅丸の内口からタクシーに乗って、靖国神社へ向かった。話題の靖国神社だが、私は52歳になる現在まで行ったことがなかった。どのような仕事でも現地現物というのは重要である。つまり「百聞は一見に如かず」である。
 到着してまず驚いたことは、老若男女、ひじょうに多くの参拝客が訪れていたことである。決してイベント目当てでもないし、右翼の団体ばかりでもない。普通の人たちがこの有名な神社を訪れ、他の神社と同様に神前で二礼二拍手一礼しているのだ。
 時間はなかったが、遊就館を超特急で見学した。日本の歴史の一断面というか縦断面の展示という感じだった。もともと戊辰戦争などで亡くなった官軍の兵隊の霊を祭ることから始まった靖国神社なので、戦争との関連が強い。つまり、日清戦争や日露戦争から第二次世界大戦(大東亜戦争)までの記録と、死んで神や霊になった人たちのことが語られているわけだ。
 順路にしたがって展示室を見学していくのだが、最後の方になって、第二次世界大戦で亡くなった人たちの、おびただしい数の遺影が飾られている部屋に入ると、言葉を失ってしまう。特に、若くして亡くなった人たちだ。彼らは決して敵を憎んで戦争に行ったわけではない。日本のため、祖国のため、命を投げ出したのである。彼らのために後に贈られた花嫁人形を見たりすると、胸が熱くなってしまう。二度と戦争を起こすべきではないという想いが、自然に沸き起こる。平和を考えるためにも、多くの国民が靖国神社を訪れ、遊就館を見学すべきだと思った。
 地下鉄で九段下から渋谷へ移動し、井の頭線で駒場東大前で降りた。今日は、日本数学協会の総会と記念講演が行われている。8月の年次大会で講演を依頼された私は、どうしても講演会場とその雰囲気を知っておきたかったのだ。
 そうは言っても、駒場は亡父の学んだ場所である。昨年来、ここを訪れるのは通算3回目になっていたから、気持ちはかなり楽だった。
 総会と記念講演が終わった後、お世話になっている会長と一緒に会場を後にして、先ず渋谷へ出、そこで私の友人と合流してから、JRと地下鉄で高輪台へ向かった。
 ヘンリーミラー展をやっているギャラリー「オキュルス」を3人で訪問したら、主催者だけでなく、数年前にH氏賞を受賞された詩人の方や、W大学名誉教授で、ミステリの翻訳もされている英文学の先生と話ができて楽しかった。
 続いて、近くにある書肆啓祐堂に寄ったら、ポラロイドフィルムを使った不思議な作品展をやっていて、その作者河村悟さんと楽しく話ができた。河村さんは京都の方で、詩人でもあり、舞台でも演じられるというなかなかバラエティに富んだ才能の持ち主のようだった。
 啓祐堂のご主人からは、亡くなられたお父様の遺著『日本のミサイル開発の原点』を頂戴したが、上質の本の仕上がりになっていて、一つの芸術作品を見る思いがした。
 また、地下鉄に乗って「白山」という駅で降りて、フレンチレストラン「洋食屋」に入り、夕食にした。そういえば、時間がなかった私の、今日の昼食は、ゴマあんぱん1個であった。ところで、フレンチレストランの、ここ「洋食屋」の今夜のセットメニューは、税込みで1150円であった。うっそー! だって? 嘘ではない。さらに付け加えるなら、実に美味かった。
 タクシーで東京駅へ移動し、新幹線に乗り、帰宅したのは午後11時過ぎである。
 怒涛の一日であった。

5月16日(火)「本の中で溺れる作家・・・の風さん」
 長編の第5稿を提出してから10日近くなる。次の打ち合わせまでに遅れていた他の仕事を一気に挽回する予定だったが、なかなかそうは簡単に問屋が卸してくれない。
 そういった中でボチボチ進んでいるのが、新執筆マシンの立ち上げだ。稼動開始からかれこれ1ヶ月以上になるから、当然といえば当然かもしれない。しかし、ソフトも含めてすべての機能が前機種と同様に機能するようになるには、やはりそれなりの時間がかかる。
 もう一つゆっくりながらも進んでいるのは読書だろう。執筆に没頭していると、もう何も読んでいる余裕がなくなるが、今なら安心して読書の時間がとれる。一昨日読み終わったのが、瀬名秀明氏の『ハル』である。口惜しいけれど、立派な小説だった。近未来のロボットと人間の関係を描いていて、さまざまなテーゼが展開されている。ヒューマノイドを追求していくことによって、ロボットに正義感を持たせることができるかとかいったことが、大真面目に展開されている。少々頭が痛くなる話題だ。また、ロボットの死や性の問題も頭が混乱する。科学が発達して、はたして鉄腕アトムは本当に誕生するかという問題なのである。
 啓祐堂でいただいた『日本のミサイル開発の原点』は、今日少し読み始めたのだが、機械工学出身の私にとっては専門分野の内容で、非常に興味深い。
 帰宅したら、また新刊本が届いていた。たからしげるさんの『びっくりスクール』だった。この方もじゃんじゃん新刊が出るなあ。
 書斎に入って、性懲りもなく読みたい本を2冊ネット注文してしまった。
 これではいくら人生があっても足りない。

5月18日(木)「長編出版に目処・・・の風さん」
 まるで梅雨入りしたように蒸し暑い1日だった。
 上京して出版社と打ち合わせた。連休明けに送付した長編第5稿がやっと水準に達したということで、次の第6稿でゲラになる。出版時期も7月ということが決まった。構想から3年、プロットから1年である。残された時間でできるだけ完成度を上げるつもりだが、次の作品を手際良く書いていかなければならない、とつくづく思う。
 打ち合わせ後、前回立ち寄った神田の古本屋に行き、目をつけておいた本を再チェックした。既に絶版になっていることは確認済みである。当初の定価は7500円だが、現在の価格は8000円だった。分厚いだし、地元の図書館にはないので、購入を決めた。
 往復の車中で遠藤周作の『海と毒薬』を読み終えた。この文庫は奥付を見るとナント第67刷である! さて、そのロングセラーの中身は、こうだった。極限状態というほどでなくても、人間はある場面においては信じられないことをしてしまう。極端な例は戦争中だろう。平和なときには絶対にいけないこと、と言われる殺人が正当化されてしまう。そして、それを実行するのは、どこにでもいるような普通の人間なのだ。それほど人間とはいい加減な生き物なのか。それとも、実は地上で最も恐ろしい生き物なのか。
 私もこういった人間の本質に迫る作品を書きたいものだ。

5月19日(金)「ラジコンカーは遠く・・・の風さん」
 二日連続の早起きだったが、前夜に早寝をしておいたので、なんとか起きられた。長編執筆に専念していたお陰で、もう半年も筋トレをしていない。この週末も第6稿のために費やすので、筋トレ復活は来週以降となる。
 本社での会議を終えて製作所に戻った。会社生活はここにはあまり書かない方針だが、年が明けてから、作家生活も会社生活もどちらも苦境に陥っていて、どうしても頭から離れない。そうなると、ついついここに書いてしまうことになる。今日の職場は、私の指示で、ある部屋の徹底した片付けをやってもらった。相当困難な仕事になると思われた。それでも、リーダーの指示で、計画的に実行され、信じられないほどの出来栄えだった。この片付けには非常に満足したが、一方で、顧客へ出張しているメンバーがいて、彼らはなかなか苦戦を強いられていた。先方での会議の様子が、無線を利用した電子メールで、リアルタイムで報告されてくるのである。
 2週間ぶりにミッシェルに給油して帰宅した。最近移動が多かったせいか、やはり重い疲労を感じた。
 この間の日曜日にギャラリーオキュルスで見せてもらった本『πを召し上がれ』と、そこでお目にかかった甲斐萬里江さんの翻訳された『アイルランド幻想』が届いていた。どちらもネット注文したものである。『πを召し上がれ』はおしゃれな装丁の本、『アイルランド幻想』も文庫ながら装丁は美しく、面白そうなホラー小説だ。
 同じく、その日に寄った啓祐堂で近々開催される個展、高橋美紀さんの「ひとふでアートの世界」の案内ハガキも届いていた。初めて見学したのは3年前だろうか。一昨年は、開催を知りながら見学できず、知り合いに紹介して代わりに見てもらっている。
 夕食を終えてふらふらと2階の書斎に入った。疲れていたので、遊び心でネットの抽選に挑戦した。缶コーヒーについているNO.付きのシールをためてあった。賞品はラジコンカーである。トヨタ2000GTがカッコいい。既に職場の同僚が何台も当てたという情報があり、私も期待に胸を膨らませていた。21回も挑戦できるほどシールはたまっていた。
 下手な鉄砲は数多く撃っても当たらないことが分かった(涙)。

5月20日(土)「第6稿に挑む風さんの巻」
 第6稿に取り組むため、ツーイーを階下へ降ろした。ツーイーはノートPCではないので重い。接続コードを外して「よっこらしょ」と抱えて書斎を出た。
 執筆にはなぜか階下がいい。おそらく資料がないからだろう。調べだすとはまる。抜け出せなくなる。
 第5稿を読みながら修正作業をするのだが、不思議と頭にすいすい入ってきて、おかしなところがアンテナに引っかかる。箸にも棒にもかからない原稿がいくらかまともになっていて、修正しやすくなっているのかもしれない。
 全体の4分の1が夕方までに終わった。もしかすると絶好調かもしれない。
 調子に乗った私は、夕食までの時間にホームページビルダーを更新することにした。7年間使っていたソフトである。そろそろバージョンアップしても罰は当たるまい。ソフトの購入とダウンロードは無事に終了した。
 新しい執筆マシンにして、導入すべきソフトはすべて導入し終わったことになる。あとは、いかに使いこなすかである。
 夕食後、再び執筆に戻った……が、調子が戻らない。どうやら、このあたりは出来が悪そうだ(笑)。
 油断はならない。

5月23日(火)「だんだん寝なくなる風さんの巻」
 第6稿を完成させるために、土日は集中した。しかし、残念ながら最後までたどりつけなかった。今回の修正では原稿の最初から途中を読み飛ばすことなくチェックしているため、これまで見落としていた点をたくさん発見してしまったからである。  それで、昨夜帰宅してからも必死で取り組まねばならず、就寝は午前2時になってしまった。
 今日は名古屋へ出張する用事があり、いったん会社へ出てからでは肉体的に危険と判断し、自宅からゆっくり出発することにした。それで、出発前にまた少し原稿の見直しをすることができた。
出張はJMAの生産技術研究部会発足式で、運営委員をやらせてもらっている私としては、日ごろの死にそうな業務環境から一時的に脱出できることと、会社における自分の専門分野の振り返りができることで、毎回楽しみにしているものだ。今回も、JITの大野先生やミッション経営の小野先生の講演を聴くことが出来て、非常に勉強になった。
今日は電車で往復したのだが、疲労困憊している割に元気で、車中で短編を2本読むことができた。ピーター・トレイメン著、甲斐萬里江訳『アイルランド幻想』である。非常に面白く、創作意欲をかきたてられた。
帰宅してからまたサンルームでツーイーに向かった。夢中で作業を続けた。何しろ残された時間がないのだ。就寝は午前4時になってしまった。

5月24日(水)「ムカデが出ても執筆・・・の風さん」
 やはり起きられなかった。会社の定時直前に何とか起き出して、会社へ電話して午前中を有休にした。
 そして、ギリギリまで執筆の続きをして、昼前に家を出、途中コンビニに寄って、ゆうパックを出した。これは、秋田の知人が私の母校である秋田高校で講演をするので、そのとき拙著を寄贈することをお願いしてあったので、拙著5冊を送付したのである。翌日の17時以降に届くとのことだった。やはり秋田は遠い。
 会社の仕事はこのところトラブル続きで、息つく余裕もないほどである。その上寝不足のはずなのに、不思議と今日も元気である。気が張っているせいかもしれない。
 帰宅して新聞に目を通したら、宝塚の朝海ひかるさん退団の記事が出ていた。初めて観た宝塚では、彼女がトップスターとして演技していたのである。広い舞台で、彼女が一人で立っていても、その舞台が狭く感じられるほどの迫力で、ああ、これがトップスターなのだ、と感動したものである。
 夕食後、1時間ほどうつらうつらしてから、サンルームへ出動した。いよいよ今夜しかないのである。
 最後までしっかり読みながら文章を修正し、物語の不整合がないようにもした。外はじめじめした雨模様で、サンルームに小さなムカデがいた。ワイフはコックローチを持ってきたが、常に『蜘蛛の糸』のカンダタ気分の私は、ティッシュでつまんで屋外へ逃がした。最後に、ルビの総点検をし、今回踊り字(々)のない構成に統一して、本文だけで、原稿用紙換算679枚となった。やっと印刷作業に入ったのが午前3時ころである。
 入浴している間に印刷がだいたい終了していた。それから、フロッピーも用意して、梱包作業をした。
 就寝は午前5時である。

5月25日(木)「第6稿を送った日は、職場が大ピンチの日・・・の風さん」
 出社途中でコンビニに寄ってゆうパックを出した。送り状は昨日もらって既に記入済みである。前回の控えを持参したので50円引き。クロネコを追い出した低料金攻撃である。
 ついに第6稿を完成させて発送できたので、これほどの開放感はない。ゲラになってからの作業は、機械的に進んでいく。逆に言うと、昨夜というか今朝までの悪戦苦闘で、作品のレベルはほとんど決まってしまったわけだ。そういう意味では、反省材料の多い作品である。
 会社の仕事は今日もきつかった。わたしの職場で生産している製品が顧客に大きな迷惑をかけているのだ。午後、顧客と電話会議になり、うちの考えの甘さをきつく指摘され、言い訳できなかった。わたしは製作所にいるのだが、上司である重役と電話で連絡も取り合った。対策会議によってアクションアイテムをたくさん決め、部下たちはまた深夜残業体制となった。夜になって、重役も職場を訪れてくれ、1時間ほど状況説明をしてから意思統一した。明日は、顧客がわたしの職場までやってくるのである。

5月26日(金)「これが風さんの会社の仕事ぶり」
 出社して、職場の幹部を集めて、今日の顧客対応方針を説明して賛同が得られたので、定時に主だった部下を召集した。今日が特別の日となることと、緊急対応や特別の処置が決まるので、最優先で取り組んでほしいとお願いした。
 通常、顧客は製作所の応接室に通して、そこで打ち合わせをするのだが、問題点の原因も対策も分かっていない状況で、きれいごとでは済ませられないため、職場の中の会議室まで来てもらった。関係者はもちろん、現物やデータ、帳票類などをすべて用意した。
 打ち合わせは深夜に及んだ。  途中で、出張中の上司である取締役とも電話で中間報告しながら、誠心誠意、顧客の協力も得ながら原因解明や対策立案に当たった。
 いよいよ顧客が帰る名古屋発の新幹線の終電の時刻が迫り、最後に残った懸案事項に対しても、要求通りに実行することを約束した。製作所からタクシーで名古屋駅へ直行する顧客を見送った後、職場で最後の打ち合わせをした。それによって、生産現場は土日共に出勤することになった。朝一番でお願いしたことは、こういう形で現実のものとなったのである。

5月27日(土)「怒涛の1週間の最終日・・・の風さん」
 わが家の北に隣接する土地が売りに出たので躊躇なく購入を決めた。今日はその売買契約日だった。
 隣接する土地が売りに出たときは、女房を質に入れてでも買え、というのが常識だ。以前西隣の土地が売りに出たとき、躊躇したため、その後後悔することになり、同じ轍は二度と踏むまいと覚悟していたのである。今日は、質に入れていないワイフと一緒に出かけた。
 仲介する不動産屋が大安の吉日を選んでくれ、朝からセントレア近くの不動産屋あmで行ってきた。売主はわざわざ岐阜から来てくれた。売るにはそれなりの理由があって、小説家のわたしとしては少し思うところがあるが、それぞれの家庭の事情である(何を言いたいのかと言うと、わたしなら売らないということ)。  帰りに修理中だったミニコンポを電気屋で受け取り、ランチを食べて帰宅した。
 早速ミニコンポを接続して、動作確認した。続いて、先日購入した執筆マシン「ツーイー」をつないで、カセットの音楽をデジタル録音しようとしたが、結局、できないことが判明した。もうガッカリである。
 頚椎症の薬が切れかけているので、病院へ行こうと外へ出たが、土曜の午後は休診だということに気付いて家へ逆戻り。夕食まで昼寝した。本当に超多忙な1週間だった。まさに怒涛の1週間と呼んでもいいと思う。
 その1週間ぶりに「ツーイー」を書斎へ戻し、23日の気まぐれ日記を書いたところで、本日の閉店時刻となった。
 階下へ降りて、韓国ドラマ「チャングム」を途中から観て、その後、ワイフとロックを飲みながら大和田伸也、五大路子夫妻の舞台ビデオを鑑賞した。
 毎回週末はこんな風にのんびりと終わりたいものだ。

5月28日(日)「韓国映画で考える・・・の風さん」
 ワイフとゆっくり起き出して、朝食にしていたら、3人の子供たちが皆出かけていることに気付いた。しかも、ワイフも今日は用事がない。わたしもいちおう執筆が一段落である。こういうことは1年にめったにないので、急遽、映画を観に行くことにした。
 今日観たのは、韓国映画で『デイジー』。 ストーリー展開が勉強になった。ただ、刑事ジョンウ(イ・ソンジェ)が殉職したあたりから、ちょっと無理が生じ出したのは残念だった。しかし、全体的には気持ちいい作品である。
 敗戦のせいだと思うが、年々アメリカナイズされた日本が失ったものを、韓国はしっかり持っている。若者の礼儀正しさや、言動の清清しさは見ていて本当に気持ちがいい。男優も女優も実に美しくカッコいいと思う。
 舞台はオランダで、外国人の中で展開されていてもシーンに不自然さがない。
 個性とか国際化とか言って日本では騒いでいるが、映画の中で見る韓国人は、日本人よりはるかに毅然としている。見るからに韓国人でありながら個性的で国際人なのだ。それは祖国への誇りを抱いた人間が共通に持っている芯みたいなものかもしれない。昨夜見た日本のMTVでは、若者は皆似たような服装や化粧をしていて、まるで制服を着ているようだった。
 彼ら韓国人を誉めているが、領土問題、靖国問題はまた別ですよ。

5月30日(火)「擦り切れているわらじ・・・の風さん」
 昨夜は本社で8時頃まで副社長を交えた会議をしていて、その後、製作所へ戻ったのだが、それから顧客との電話会議が始まった。こんな時刻からの会議なら先方は海外かと想像する読者もいるかもしれない。ところがどっこい、日本国内である。
 その電話会議で決着がつかないくらいトラブルは深刻で、今日も、わざわざ顧客に来社していただいて、終日、真剣な会議を続けた。しかも、今日は、本社と製作所の両方であり、私は移動しながらその対応をした。今日は名古屋へ出張する用事があったのだが、それはキャンセルした。
 先週の金曜日と同様に、終電の「のぞみ」に間に合うように製作所から顧客を見送ることになってしまった。
 サラリーマン作家と言うと、「二足のわらじは大変ですね」と一様に同情される。確かにその通りと応えたいところだが、実際は、会社のわらじは擦り切れている。
 会社の仕事の関係で今年知り合った秋田の方から、講演依頼があった。鳴海風の看板よりも会社の看板の方が迫力があって、たまにこういった講演依頼がある。どちらも大変ありがたいことである。

5月31日(水)「何やってるんだか・・・の風さん」
 連日肉体的にハードで、精神的にタフな日々が続いている。そのせいで疲れがとれない。そりゃそうだろう。これで元気ハツラツだったら、鳴海風は化け物だ。生身の私は普通どころか虚弱で初老のオトコである。
 ところが、馬鹿は死ななきゃ治らないとはよく言ったもので、肉体の限界を認めようとしない私は、貪欲でいくらでも自分を追い詰めてしまう。
 今日はやっとのことで9時前に帰宅できた。すると、日曜日にネット注文したCDレコーダーが届いていた。
 そもそもこれは、私の勘違いと無知から始まった。アナログ2ピンプラグからステレオミニプラグに変換するコードを用意すれば済むものを、そんなものは存在しないと勝手に判断し、半ばカッとなって注文したのだ。
 しかし、超高速のスピード時代である。品物は届いてしまった。夕食後、ミニコンポやカセットデッキと接続した。3台とも同じメーカーなので、シンクロ用のケーブルもつなぐ。さらに、アナログ信号とデジタル信号が接続されるので、なんと、デジタル信号は光ケーブルだった。知らない間に世の中は進歩している。
 接続を終えて満足感が体を包んだ。実は、変換コードも買ってあったのだが、これは後日パソコンとつないでみることにする。
 あ〜あ、こんなことやっているから、いつまで経っても作品ができなかったのだ。
 少なくとも今夜も疲労がとれるようなことは何もできなかった。

06年6月はここ

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